隠された悪意といじめの成立

隠された悪意といじめの成立

 

悪意は、さしあたって、表立っては表現されない。

 

悪意は、制裁という仕方を取って表現される。

 

制裁とは、ある大義名分のもとに他者を叩くこと。

 

大義名分とは、正義のため、平和のため、国家のため、社会のため、職場のため、家族のため、仲間のため等々。

 

これによって、悪意は、隠されたものになる。

 

これは周囲の人たちに対してよりも、自分自身に対する大義名分。

 

なぜなら誰も自分が悪さをしていると思いたくないから。

 

制裁は、さしあたり頻繁かつ執拗な注意やダメ出しという仕方で表現される。

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防衛

前回の記事では、どうしても守らなくてはならないものは、自己肯定感であり、その根拠だ、という話をしました。しかし世間的価値観を根拠にして自己肯定している限りは、それはいつも頼りなくどこかで不安が残ります。

 

いつかリストラされるのではないか、いつか大病を患うのではないか、いつかひとりぼっちになるのではないか。人は大抵、自分の弱いところは見ないようにしているのではないでしょうか。

 

そのなけなしのプライド(自己肯定のひとつのあり方)を世間的価値観という根拠で保とうとしているわけです。自分は卑怯だということ、臆病だということ、利己的だということ、自分には人間的に欠点があるということ。本当は自分は人間的に弱いのに、それを自分が直視するのは自己否定的に感じられてつらいので、防衛して見ないようにするわけです。

 

防衛とは、自己の現実(自己肯定不全= 自己否定感)の直面化からの防衛のことです。

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どうしても守らなくてはならないもの

以前の記事で、人は自己否定感を感じるのが一番の苦という話をしました。

 

それは絶対的存在であるところの自分がモノ化され、相対化される(比べられる)ところの痛みだと言ったかと思います。

 

どうして絶対的存在者*であるはずのものが、相対化の痛みを食らわなければならないのでしょうか。

 

* 絶対的存在者:この言葉が何を意味するのかはきちんと書かなければならないのですが、結論的には、唯一無二の存在(何にも誰にも比較することができないし、侵すこともできない存在)ということになります。読者様も、唯一無二の存在という意味で絶対的存在者です。

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