投稿者:下村順一
  • コラム

現実は何でもありだ!

 

と聞いてみなさん、ぴんとくるでしょうか?結構、過激な文ではないかとおもいます。

わたしがこういうことが腑に落ちたのは、10年ほどくらい前のことですが、それ以来、わたしにとっては、自己肯定ということを考えるとき、大切な教訓というか、現実理解となっておりました。

 
 

しかし、最近になって、いろいろ揺らいでいます(-_-;)。

グラグラグラ~

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今回は、鴻上尚史さんの「いじめられている君へ」というメッセージ文について一いじめサバイバーの立場から思ったことを書いてみたいとおもいます。

 

もしいまいじめられている小学生中学生にこのメッセージが届いたら、この言葉で救われる人もいるとおもいます。ただ、救いにならない人もいるとおもうのです。

救いになる人はそれでいいので、わたしは、救いにならない人が、どうしてならないのか、ということについて書いてみたいのです。

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以前の記事で、

 

おのれの精神性の深さに対する自負心こそ、人間の究極のプライド(名誉心)ではないか、

 

と書きましたが、つまり、わたしは、プライドと誇りを区別しているわけです。

 

プライドprideはむろん、英語で、意味を引くと、「誇り、自尊心」とありますので、したがって日本語の「誇り」と意味の上では、違いはないわけです。ですがわたしはこの二つを使い分けています。

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こんにちは、しもむらじゅんいちです。

7月4日のミーティングの中から少し振り返りたいとおもいます。なんだか、仲間の話をきいていて、じゃあ一体どうしたらいいの?と思ってしまいました。

 

いじめって簡素化していえば、ある集団があって、その中で、誰かが、一人もしくは複数の人からいやがらせを受ける、ということだと思うのですが、でもそこには、なんらかの自由があるとおもうんですね。

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