きょうは、「いじめのことを親に言えない本当の理由」というテーマで書きたいとおもいます。

やはり、じゅんいち自身の場合になってしまうのかもしれませんが。

このことは、いじめ後の十数年にわたって、常々考えていたことでありました。
しかし当人としてもなかなかわかりづらいことだったようにおもいます。
みなさんはどうでしたでしょうか?

5,6年前のことでしょうか、自分なりに答えがでたとおもい、いつか誰かに話したいような気がしました。

 

まずはこのことについて、精神科医の斉藤学氏の記述を引用したいと思います。

 

いじめ被害者は、いじめられているということを日記に書いたり、親にいったりした時点で、自分の存在が汚れたものになってしまいますから、生きていることができないのです。「自分はいじめられっ子だ」と自覚したときには、あとはもう死ぬしかないのです。

 

 

いじめ被害者は、いじめの存在そのものを否認します。いじめられっ子が全身あざだらけになっても登校続けるのはなぜか。それは、いじめの存在を認めてしまったら、自分のなかに残ったなけなしの自己肯定感を全部取り払って捨ててしまうということになる。だから、そのようなことは怖くてできないのです。

 

(『いじめをなくす親子関係』、斎藤学、旬報社)

 

わたしの場合は、これとは少し違います。

 

>親にいったりした時点で、自分の存在が汚れたものになってしまいますから、生きていることができないのです。

 

親にいった時点で、自分の存在が汚れたものになるのではありません、

 

わたしを責め立てる「彼」に屈服した時点で、彼の命令に従って「やめて下さい」と敬語でゆるしを請うた時点で、わたしは汚れたのです、敗北・負けたのです。

その日以降卒業するまでの10ヶ月に渡り、自分が人間のクズになったことをわたしは確信させられてしまったのです。

 

親に言うまでもなく、わたしは、既にクズになってしまったのです。

 

>「自分はいじめられっ子だ」と自覚したときには、あとはもう死ぬしかないのです。

 

それでも生きていた、「彼」に隷属しても生きていわたしは、この上なく恥知らずな、みっともない、ぶざまと呼ぶにふさわしい、情けない男の子だったのでしょうか。

 

わたしは恐怖に駆られ、ただもうどうしていいか分からず、ビビりきっていたのです。

 

そして負け犬になってしまった自分に、ただただ失望していたのです。

 

人生全体とか運命の視点から見ればまた違ってくるでしょうが、

 

あの当時、あの中三のとき、わたしは確かに「彼」に屈服し、負けたのです。それはまぎれもないことです。

 

>いじめの存在を認めてしまったら、自分のなかに残ったなけなしの自己肯定感を全部取り払って捨ててしまうということになる

 

彼との関係の中で、わたしの自己肯定感(プライド)は根絶やしにされてしまったのです。自己を肯定しようにもそんなぶざまでなさけない自分を肯定する余地など、少なくともわたしの意識の上にはなにもなかったのです。

 

わたしは、その屈服した日以降、彼の悪意の中にあって怯えきり、彼に神的なものまで感じ(実際「彼」はわたしに「オレは神だ」と告げました)、そして、もうその悪からは誰もわたしを守ることはできない、親でさえどうすることもできないと思い込んでいたのです。ただわたしが、わたしと「彼」だけの絶対にバレてはいけない秘密として、一生持ち続けていかなければならないものだと凍える心でそう思っていたのです。

 
 

いじめ後もわたしはずっと親にはいじめのことを話せませんでした。

 

わたしは人間のクズになったのです。最低のクソになったのです。そんなことを親に言うことなんてできないよ。

申し訳無さ過ぎてできないよ。

 

わたしにとって、親にいじめのことを告白するとは、親に、「わたしは人間のクズに、ゴミになってしまいました」、と告白することと同じことだったのです。

 

そんなこと、わたしを生まれてからずっと大切にしてきてくれたお父さんやお母さんにいうことなんて絶対にできませんでした。そんなのあまりにひどすぎる。わたし自身が、わたしの最愛の両親を侮辱する存在だなんて。

 

いじめ・いじめ後のわたしは、ずっとそう思って、両親にいじめのことは絶対に言えませんでした。

 

そして、もうひとつ掘り下げれば、

 

わたしは、いじめられていた時も、いじめ後も、お父さんお母さんに大切にしてもらったから、なんとか命をつなぐことができたのです。もし両親との関係が冷たいものであったならば、わたしは命を絶っていたでしょう。またわたしが、両親に大切に育てられて幸せだったから、「彼」のいじめの制裁をうけなければならなかったのかもしれません。

 

日々のいじめは地獄だったけど、家に帰れば、やさしいお母さんお父さんが居てくれたのです。お母さんとお父さんに大事にしてもらうことだけが、わたしの命綱だったのです。
もし、お母さんお父さんに、いじめのことを話して、自分が悪魔に身を売ったことを話して、もし、お母さんお父さんにまで軽蔑され、侮辱されたら、それこそぼくはもう死ぬしかない、ぼくの精神は崩壊してしまう。

 

だからお母さんとお父さんだけには、いじめのことはどうしても知られたくなかったのです。

 

だからいじめの事実を親に知られないように死守したのです。

 

親に言うと自分のダメが決定するから、言わないのじゃない。もうすでに屈服した時点で、自分がクズであることは決定していたのです。

 
 

親にいじめの事実が知られることになったのは、結局わたしが21歳の時、精神科にかかってからのことでした。主治医に親も連れてきてと言われ、それでも、いじめのことは話さないでくださいと頼みましたが、家族同行診察の時、主治医は裏切って(笑)、母にいじめの事実があったことをほんの一言ではありますが告げました。その後、父もやはり主治医からいじめの事実を知ることになりますが、それ以後も親子でいじめのことに触れることは、決してありませんでした。

 

いじめのこと(中3)があってから、もう27年が過ぎました。

父は、16年前に亡くなり、母は健在です。わたしにとっては最愛の大好きなお母さんですが、そしてわたしは未だにうつ病通院の身ですが、改めて、母といじめのことについて話すことはありません。それはそれでいいのだとおもいます。

 

母のことについてはまたいずれ話したいとおもいます。

 
 

親愛なる読者さま

 

辛い悲しいの時にあっても、また、やさしい慰めもありますように。

 

しもむらじゅんいち

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