カテゴリー:コラム

のばらの会としては初めてのオンラインミーティングが2020年5月22日に開催されました。

参加者8名。特に大きなトラブルもなく終えることができて、世話人としてはほっとしているところです。

 

今回の経験を糧に、今後もオンラインミーティングの企画をしていきたいと思います。

東京・新宿という地域に限定しないで、全国のいじめサバイバーが繋がれる場をつくっていけたらと思います。

 

シェアミーティングは、一人では、成立しないものです。一人一人の参加者が、会場(今回はオンライン)に出てきて、自分の思いを語ること、そして相手の話を静かに聴くこと、この二つがあって初めて成立します。聴いてくれる人がいなければ、それはただの独り言、あるいは自分の心の中だけの思いで終わってしまいます。聴いてもらうことで、話されたことは確かに伝達され他者に分かち持たれるのです。

 

言いっぱなし・聴きっぱなしであることは何も参加者同士が関係しないように見えますが、それによって安全な場が確保されます。

 

参加することが自分をたすけ、仲間(参加者)をたすけることになる、そういう場なのだということを改めて確認できた、そんなミーティングでした。

恥ずかしながら年来私は、たとえどんなに一生懸命がんばっても、結果が伴わなければダメだ、と思ってきたふしがあるように思います。

 

その考えは、長らくわたしにプレッシャーを与え続け、苦しめてきたもののようにも思います。

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隠された悪意といじめの成立

 

悪意は、さしあたって、表立っては表現されない。

 

悪意は、制裁という仕方を取って表現される。

 

制裁とは、ある大義名分のもとに他者を叩くこと。

 

大義名分とは、正義のため、平和のため、国家のため、社会のため、職場のため、家族のため、仲間のため等々。

 

これによって、悪意は、隠されたものになる。

 

これは周囲の人たちに対してよりも、自分自身に対する大義名分。

 

なぜなら誰も自分が悪さをしていると思いたくないから。

 

制裁は、さしあたり頻繁かつ執拗な注意やダメ出しという仕方で表現される。

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