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隠された悪意といじめの成立
悪意は、さしあたって、表立っては表現されない。
悪意は、制裁という仕方を取って表現される。
制裁とは、ある大義名分のもとに他者を叩くこと。
大義名分とは、正義のため、平和のため、国家のため、社会のため、職場のため、家族のため、仲間のため等々。
これによって、悪意は、隠されたものになる。
これは周囲の人たちに対してよりも、自分自身に対する大義名分。
なぜなら誰も自分が悪さをしていると思いたくないから。
制裁は、さしあたり頻繁かつ執拗な注意やダメ出しという仕方で表現される。
なぜその悪意は気付かれていないのか、隠されているのか?
悪意は他者に対する嫉妬から起きるものだから。
嫉妬、つまり他者に対するうらやみと妬みは、人類共通の弱点であり恥部である。
弱点を見るのは苦しいこと。
弱点を見ることは、さしあたり大抵、人を「自己否定的(自分はダメな奴だ)」にさせる。
弱点をみることは、自己を受け入れ難くさせてしまう。
自己を受け入れられないのが、最も本質な苦。
だから悪意は、意識に表立って現れてこない。
悪意を持っている本人にとって隠されたままでいる。
嫉妬の対象は本質的には、他者の自己肯定感にある。
自己肯定感とは自分を受け入れている感覚のことである。
自己肯定感が高いのが(自己を受け入れている度合いが高いほど)、幸せということ。
嫉妬とは他者の幸せに対する嫉妬。
嫉妬から起きる他者への衝動とは、他者の幸せを壊したいということ。
悪意の本質とは、他者の幸せ、つまり他者の自己肯定感を破壊したいという意志のこと。
それは人間として最も恥ずかしいことであり、卑劣なこと。
そのような意志が自分にあることは、到底みとめられないことだから、それをみないようにするために、自分の他者への破壊行為に対して大義名分を立て、制裁とする。
他者の自己肯定感を破壊することによって、表面的には、粘り強く制裁を続けることによって、ついに他者を内側から、自発的に自己否定させるようにする。
他者を辱めることによって、他者自らが自分自身を恥ずかしく、責められるべき存在だと思うようにさせる。
他者に対し自発的な自己否定感を植え付けることをもって、悪意、そしていじめは、その目的を達成し、その時悪意は成就し、いじめが成立する。
そして、この恥ずべき卑しむべき悪意は、制裁の名のもとに守られて加害者本人にとっては、隠されたものとされる。
親愛なる読者さま
つらい悲しいの時にあってもまた、やさしい慰めもありますように。
しもむらじゅんいち