心の傷(いじめ体験)の効用は?というテーマで書きたいとおもいます。

 

いじめとは、自己を否定されるつらい体験です。しかし、そこからいろいろなことをわたしたち(いじめサバイバー)は学んできたのではないでしょうか?

 

いじめ体験・いじめ後体験を経て、わたしは「弱さ」というものを知りました。

 

それは、自分の弱さであり、他者の弱さであり、人間の弱さです。以前のわたしは、弱さについてなにも分かっていませんでした。

 

わたしは、他人のことを考えることができるようになりました。以前のわたしは、あまりにも利己的で自分のことしか考えていませんでした。

 

わたしの苦悩は、わたしを深くしてくれました。苦悩とは、現実(自分、他者、運命)をゆるせないこと、認められないことから生じるものです。

 

わたしにとってもっともゆるせなかったこと、それは自分自身のことでした。同級生に屈服し、ひざまずいて、いいなりにしかなれなかった自分のことを、ぶざまで、弱い、けがれた存在だと、欠陥人間だと確信しました。そんな卑しい身分の自分を認めることなど、到底できませんでした。

 

それがわたしにとってもっともゆるせない現実でした。そしてそのことが最もわたしを苦しめたことです。しかしわたしはいつしか(いじめ体験の14年後位)、そんな自分のことをゆるせるようになりました。認められるようになりました。

 

わたしは自分と和解したのです。かけがえのないわたし自身の存在をこれからはなによりも大切にしようとおもうことができるようになったのです。

 

しかしそれにはどうしても14年間に及ぶ苦悩体験が必要だったのだとおもいます。

 

「深くなる」とは、以前ゆるせなかった現実が、ゆるせるようになることです。より多くの自分のありよう、より多くの他者のありようをゆるせるようになる、肯定できるようになるということです。それは苦悩をとおしてのみ成就されることなのです。そしてその全体が運命なのです。

 

「深くなる」というのは人格的深化のことであって、人格的成長のことです。いじめ体験といじめ後体験は、わたしの場合14年間に及ぶ苦悩体験でしたが、それはわたしに、人格的な深化と成長をもたらしてくれました。わたしはこの意味で深くなることだけが、「(ひとに対して)やさしくなる」ということを可能にするものなのだとおもうのです。

 

いじめ・いじめ後体験を経て、少しだけでも、やさしくなれたことはとてもよかったとおもっています。なぜならなによりもそれは、自分自身を救ってくれたからです。ぶざまなけがれた自分と言う現実をゆるせるようになり、自分にやさしく、自分を大切にできるようになったのです。

 

いじめ体験を受けたとき(自分を否定されたとき)、苦悩が生じます、それは現実(けがされた自己像)をゆるせないということ。そんな現実はあってはならないということ。その葛藤です。しかしその否定体験の苦悩だけが、やがては「現実をゆるす」という奇跡を可能にさせるものなのだとおもいます。「ひとの弱さに気づき」、「他者のことを考える」、という奇跡を可能にさせるものなのだとおもいます。

 

親愛なる読者さま

 

辛い悲しいの時にあっても、また、やさしい慰めもありますように。

 

しもむらじゅんいち

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